Hiroさんの北欧リポート

2001年6月、スェーデンとノルウェーでStingのコンサート をご覧になったHiroさんのライブ・リポートです。
6月7日、SAS(スカンジナビア航空)で、ひとり北欧に向いました。 機内誌『Scanorama』を何気なく見ていると、お〜!そこにはStingの写真が・・・。 オスロでコンサートをするという記事が載っていたのです。機内エンターテイメントの音楽にも 『When we dance』が・・・。えらいぞ、SAS! 幸先のよい旅の始まりに、 思わず周りに人がいることも忘れて、一緒に『When we dance』を口ずさむHiroでありました。

ストックホルムのホテルで、ノルウェー人の友人と8年ぶりの再会。 ストックホルム、オスロの2つのコンサートをふたりで一緒に見るために、 わざわざ北極圏にある街からでてきてくれたのです。もちろんStingファンであります。

6月9日、いよいよコンサートの日。ストックホルムの旧市街を歩いていると、 またまたStingの顔が・・・。ごみ箱の上に置いてあったポスターでした。 一緒に写真をとりました。ポスター、持って帰ってくるには大きすぎた、残念。


ストックホルムはとても美しい水の都です。会場となるSkansenは、 ストックホルムにある野外博物館で、伝統的な建築物(農家の家屋やガラス工房など) を移築してある牧歌的なところで、私のお気に入りです。 旧市街から船にのってSkansenに向いました。
コンサートのゲートのオープンは18:00ということなので、 17:30には着くようにしました。さぞかしたくさん並んでいるだろうなと心配し つつ到着すると、えっ? 30人くらいしかいない。しかも、黒い顔をした羊が一緒に並んでる ・・・。絶句。いくら牧歌的といっても、羊と一緒にコンサートか?  友達のノルウェー人は並んで待つのは、まっぴらだと言う。後ろ髪を引かれつつ、 ゲートの横のレストランに入って食事をすることに。
   
レストランで食事をしている間に、なんとアラレが降り出した。 列を作っていた人たちも、レストランに逃げ込んでくる。でも、 ほんとは私はアラレが降ろうが、ヒョウが降ろうが、外で列を作って待っていたかった。 とうとう待ちきれず、友人(以下Pと略)を外に連れ出し、ゲート前に並んだ (カメラ禁止を知らず、罰金20クローネ・250円くらいを払いカメラを預けた後、再度並び直したバカなヤツ)。 寒い。手袋をしている人もいるくらいだ。私はこの日のために買ったミラーボールのよ うに光るサンダルばきだ。アラレに降られて、濡れるし、寒い。それにしても、パンパンと、 すごいアラレの音だ。羊もどこかに行ってしまった。

ゲートを通り、会場に着いた。狭い・・・。スウェーデンの田舎の小学校の校庭みたいだ。 木も一杯あって、フォークダンス大会でも開くような雰囲気の場所だ。とってもPrettyだけど。 ここにほんとうにStingがくるのか?

ステージ前も真ん中は人が一杯だけど、端の方に行けば、最前列に行ける。 みんなのんびりしている。それでも、開演間近になると、混み合ってきた。 それにしても、北欧人の背のバカ高さはどうにかならないのでしょうか?  2m近い人の中に埋もれそうになりつつ、どうにか前の方の場所を確保できた。 ほんと踏み台が要ったよ。

雨もやんだ。北欧の淡い陽の光が、きらきらと樹々の緑を輝かせるなか、 いよいよStingのSkansenコンサートの始まり。

20:40、Stingが登場した。
わあ! かわいいシャツ。赤やピンク、黄色の花柄だ。 袖と脇に茶色と赤の太い縞が入っている。こんなかわいいStingは、初めてだ。 パンツはいつものチャコールグレーのカーゴパンツ。なんてキュートなんだ!  このシャツを着たStingを見られただけで、もう満足だった。

Stingは開口一番、レストランの天辺にある部屋から見ている人たちに、 「ロイヤルファミリーの一員かい?」。 最初の曲は『If you love somebody set them free』だった。 (日本公演の時の最初の曲『A thousand years』は、結局歌わなかった) 『After the rain has fallen』から『Bring on the night〜When the world・・・』 に至る流れは日本と全く同じでした。『B.N.D』と『Englishman in N.Y』が入れ替わっただけで。 特別なゲストもいませんでした(ある人を除いて)。

Stingが『Roxanne』の半ばにさしかかった時、どこからともなく、 ひとりの中年の男の人がギターを持って現れた。それは、ギターというより、 まさにウクレレ!といった感じの小さいものだった。スウェーデンでは有名なコメディアン なのか? 飛び入り参加か? ???、いくつもの?が私の頭の中を駆け巡る。 彼は、Stingの横に立って、一緒にギターを演奏(多分)し、とってもうれしそうな顔をして 『Roxanne』を歌っている。
Stingが、首をかしげ「出ていってくれ」という様に、その男性に目で合図した。 観衆もざわめきだした。やはり彼はおかしな人なんだ、と納得した途端、 ステージの脇からセキュリティーの人たちがドドーと現れ、その男を両脇から挟んだ。 あっという間に、彼はセキュリティーに引きずられつつ、それでもニコニコしながら、 ステージの裾に消えていった・・・。まぬけなウクレレとともに。観客、大受け。
彼が連行された後、Stingはベースを演奏しつつこう言った。 「He is my brother」 Sting!ナイスフォロー!!!観客、さらに大拍手。 かっこいい、ってまさにこのことです。Stingの見事なばかりにcoolな対応・・・。 ほれぼれしました。

観客は総じて、おとなしい。前のほうのスポットにもかかわらず、 突っ立って聞いている人が多い。そして、東洋人の私と青い目のPが一緒に歌い、 踊りまくっているのを、見て見ぬ振りをしているのが、よくわかる。 セットリストを書きとめるたびに、横の中年女性がちらちら私の手元を見つめてる。 ただ、横の若い女の子は、乗っていて、私と一緒に踊ってくれました。 後でPが言うことには、「あのコはdrugやってる目をしてた・・・」。  私はヤクなしでも、ノレル女です。

アンコールは、『If I ever lose my faith in you』『Every breath you take』 『Message in a bottle』、最後が『Fragile』でした。残念ながら『Shape of my heart』 は演奏されませんでした。Shigeyoさん、ここでは『Message・・・』の時、 手拍子はありませんでした。

やはり、『Fields of gold』では泣きそうになりました。Pと抱き合って踊りました。 『Fragile』の最後のギターの「ピーン」という音が消えた時、 ストックホルムの空はようやく暗くなっていました。22:25のことでした。

6月10日、11:30ストックホルム発のSASで、オスロまで飛んだ。 飛行機のなかで、突然「あっ! 今日の新聞に昨日のコンサートの記事が載ってるかもしれない」 と気がつく。降りる時、乗客が読み終わった新聞を、こそこそと拾い集める私。 それもできる限り。怪しい東洋人だ。

オスロのホテルに着いてから、拾い集めた新聞を必死になってめくると、ありました! ちょっと舌を出したキュートなStingの写真が大きく。総合新聞(多分)にも、Stingの記事が大きく1ページにわたり載るとは、 たいしたものだ。

新聞のデータによれば、観客数9,000人とのこと。私には、どう考えてもあの狭い広場に そんなにいたとは思えず、帰国後Skansenに問い合わせのメールをだしてみたが、同じ答えだった。 しのさん、仙台で6,000人なんです。きっと、Skansenの牛・馬・羊も込みの観客数だったん でしょう。負けず嫌いだ、私も。

オスロでの会場は、フログネルパークと言う、やはり野外の公園だ。 ここでは、3日間にわたるNorwegian Wood Festivalという音楽フェスティバルの最後が、 Stingのコンサートになっていた。すでに、13:00から開場になっていたので、 夕方私たちが会場に着いた時には、かなりの人で混み合っていた。

昨日、カメラを預けるはめになったので、この日は持ってこなかった。 ゲートで元気よく「No camera!」と申告すると、バッグも軽く触っただけで「OK」。 「え〜? それだけかい?」とがっかりした。しかし、Pはデイパックを開けられている。 ガードマンも昨日と比べると、数も多いし、ごっついお兄さんばっかりだ。 昨晩、殺人事件がオスロで起こり、その凶器に似た物をおまえは持ってる、出してみろ、 と言われたそうだ。「My umbrella!(ノルウェー語で)」と傘を出して見せると、 「OK!」。あたりまえじゃ。

場所を探す前に、私には会う約束をしている人がいた。 このフェスティバルのアリーナ・シェフのSten・Fredriksenさんだ。 私がチケットのことで日本から質問のメールを送ったことがきっかけで、 コンサート当日ちょっとだけでも会いましょう、ということになっていたのだ。 もしかしたら、なにかSting情報が手に入るかもしれない。

Stenさんのいる部屋まで、セキュリティーの若い男性に案内してもらった。 ノルウェー人はスウェーデン人に比べると、背は少し低いが (それでも男性の平均身長180cm)がっしりした感じで、頼もしい。この男性も、 ひきしまった体格で、顔も非常にハンサムだった。うれしかった。北欧は、美男・美女 (金髪・青い目)の宝庫です。

StenさんはStingと同じ歳の男性で、Norwegian Wood FestivalのWeb-Siteのデザインと、 アリーナ・シェフを担当している。このフェスティバルのために、わざわざ日本から やってくる人間にとても興味を持ったとのこと。いやいや日本には、Shigeyoさんという、 素晴らしい先達がいるのですよ、と伝えたかった。Stenさんと初対面の挨拶。 Stenさんの部屋には、Stingに贈るという額が置いてあった。紙でくるんであった。 できることなら、紙を破いて見てみたかったが、断念。この日は、 それ以上のSting情報は得られず、2日後、改めてStenさんと会って、いくつか情報をもらった。

北欧では、Stingのコンサートは各首都で一回ずつしか行われません。 だから、随分遠くからもやって来るようです。Pはオスロから1,000km離れた (日本だと、東京ー鹿児島くらい)小さな街から来たのですが、同じ街の人に何人か会っ ていました。Stingの人気は、かなりなものです。旅行中、B.N.DのTシャツを着ていると、 必ず何人かから「Sting!」と声をかけられました。

それにしても、昨日のストックホルムと雰囲気が違う。野性的なのだ。 東洋人の私のことも、遠慮なくじろじろ見る。視線が痛いほど。ストックホルムでは、 見て見ぬふり、といった感じだったのに。隣り合った国なのに、かなり国民性は違うようだ。 ワイルドなノルウェー人・・・。皆、ビールやワインを飲んでかなりできあがっている。 カメラ禁止もなんのその、みんなバチバチ、写真を撮りまくっている。 カメラ持ってくればよかった。

昨日より人も多い。しかもシートを持ちこんで場所を確保している人が多く、 よく見える場所はもう全く空いていない。(しかし、観客数は6,000人との発表。 Skansenの9,000人はやっぱりウソだ)。前の方に割り込んで行こうと思ったけれど、 バイキングの子孫たちの逞しさに(腕に錨マークのタトゥーが入っていそうな)、 さすがの私も「これは、殺される・・・」と思いあきらめた。 Pとウロウロ場所を探したが、結局後ろの方で見ることにした。

コンサートが始まる前に、私の斜め前に立っていた男の子(10代くらい?)が、 わざわざ私がよく見えるように、場所を空けてくれた。私の身長(152cm)のせいか、 私の歳(とっくに中年)のせいか? ありがとう。

20:45、いよいよStingのコンサート開始。私の前には、車イスの女の子とそのご両親がいた。 一緒に、思いきり楽しみましょうネ!

Stingが出てきた。みんなすごい声援だ。昨日と違ってずいぶん後ろで、 Stingの姿は豆粒だが、今日は、周りの人たちと、なかよくコンサートを楽しむことにしよう。 最初はやはり『Set them free』からだった。今日は、とても音響がいい( Stenさんが自慢していた)。昨日もそうだったけれど、Stingの声の調子もとってもいい。 歌い、踊る、Pと私。最初から、ふたりともトバシテマス。

私の前にいる、車イスの女の子のお父さんが、私の方を見て、お母さんの肩をたたき ながら何か言っている。もしかしたら、私があまりにもうるさいので、 「コイツ(私)に叩かれないようにしろよ」と注意しているのかと思った。 Pに聞くと「Hiroがよく見えるように、ちゃんと隙間を開けといてやれ」 と言っていたんだそうだ。ありがと・・・。やさしいノルウェー人。 海賊みたいにごっついおっちゃんやけど。

さらに、Pが「この人は、わざわざ日本から、Stingのコンサートのためにノルウェーに来たのだ」 と説明すると、なにやらノルウェー語で(多分「へえ!」とか「おお!」といった) 言葉を発して、どこからかイスを持ってきた。そのイスに立ってStingを見ろ!見ろ! と私に勧める。後ろの人もいるので、「Thank you, but no thank you」とお断りした。 でも、とてもうれしかったし、今一番悔やんでるのは、このイスに立ってStingを 見なかったことだ・・・。このごっついお父さんは、それ以後私が見えやすいように、 私の後ろに立ってくれました。

会場内でアルコールも売っているし、併設のカフェに座って(ステージは見えないが) コンサートを楽しむこともできる。樹々に囲まれたステージと観客席。 子犬や赤ちゃんもいれば、キスしている恋人たちもいる。みんな、それぞれStingを楽しんでいる。 車イスの女の子は12、3歳ぐらいか? とっても乗りがいい。Stingが好きだなんて、 あなたもいい趣味だネ! お互い「Hej!」と手を振りあって挨拶した。

時々、空を見上げてみる。やさしい青色をしている。 Stingの声を聴きながら空を見つめていると、空の青さをすいこんで、私の黒い目も青 く青くかわってしまいそうだ。ここにいるバイキングの末裔たちの瞳みたいに・・・。

『Englishman in N.Y』は、ストックホルムでもオスロでも、とても人気があった。 コンサートが始まる前、私たちは併設のカフェで、Pの同級生という男性に出会っていた。 金色のマツゲがかわいい、そしてハゲてる彼(40歳)は、ずっとカフェのイスに座ったままコンサートを聞いていたが、この曲がかかると、やにわに立ち上がり、奥さん(?)と踊り出した。でも、それは・・・。社交ダンスだ。ターンしたり、彼女を腕に抱きかかえたり。でもでも、とっても楽しそう!  こちらも負けずに、腕をブンブンまわしたり、足をガクガクさせる。 これじゃ、まるで体操か?

『Every breath you take』が始まると、会場にため息のようなものがいっせいに洩れた。 一気にキスモードに入っていく恋人たち。Pと私は、大声で歌う。 と、私たちの前にいた男性が突然、こちらを振り返った。眉を八の字にして。 泣いているのか、笑っているのか? それとも怒っているのか? かまわず、 でかい声で歌い続けていると、またこちらを振り向いた。怒っているようには見えない。 泣き笑い状態だ。私たちの声がうるさくて、思わず声の主を見てしまったんだろう。 でも、Pと私のあまりの迫力に、気迫負けしたんだろうな。かわいそうなお兄さんだった。

セットリストはストックホルムと全く同じ。今回、ぜひ聴きたかった『Mad about you』 は聴けず、残念だった。

22:30、観客の熱狂的な拍手に送られて、Stingは去っていった。 終わってしまった。まだまだ、空は明るいのに・・・。

しかし、余韻に浸るのは、まだ早い。私たちには、ホテルまで無事帰る、 という重大な課題が残されていた。ふたりは、オスロの地理が全然わからなかったのだ (来る時はタクシー)。会場の出口に向っていると、Stenさんの所まで連れていった くれた素敵な若い男性が「Mr.Fredriksenに会えたか?」と聞いてくれた。私がニコニコ しながら返事をしている間に、どんどん先に行ってしまうP。 Pはとっても心配症なのだ。だから、どうやって帰ったらいいか思い悩んでいるうちに、 私を忘れたらしい。

オスロは麻薬中毒者が多い、と聞きました。会場でも、drugやってるな、 と思えるような人もいました。もし、私ひとりだったら、このコンサート、 ちょっと怖かったと思う。会場の外には、麻薬捜査犬を連れたポリスがいて、 車の陰からコンサート帰りの人たちの匂いを嗅がせていました。
まぬけなふたりは、タクシーを見つけられず、手をつないで(つまりお互いにはぐれないように)、 麻薬捜査犬を連れたポリスにホテルまでの道を聞くのでした。

コンサートの翌日、新聞を買いあさった。お店で、「Stingの記事が載っている新聞、 全部ください!」と言って。言われたほうも、困っただろうな。全部で4部。 『Aftenposten』という、総合新聞にも、大きく見開きで2ページ、 写真も20cm×19cm(タコのぬいぐるみと一緒のもの)と、22cm×23cm (ステージ上のもの)の特大のものが掲載されていた。もちろん、両方とも、素敵なStingだ。 他の何よりも大事に、日本に持ち帰ってきた。

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オスロの国際空港で、Pと別れた。ぎゅっと抱き合った後、ふたりの右腕をきつく絡ませあった。 「世界で一番の親友」と言いながら・・・。私がプレゼントした、B.N.DのTシャツ、 3日連続で着てくれて(ちょっと汚いけど)、そして、あんな素敵なコンサートは初めて だって言ってくれて、ありがとう。あんたを誘って、ほんとによかったよ。

Pは左の国内線、私は右の国際線へ。もう後ろは振り返らずに、どんどん歩いた。 北欧のいつまでも暮れない空の下で、私は、Stingの歌の川を泳いだのだ、と感じながら。

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Shigeyoさん、この報告をまっさきにしたかったのは、Shigeyoさんでした。 Shigeyoさんと出会わなければ、大好きな北欧でStingのコンサートを聴くこと など、思いもつかなかったでしょう。今、思い出しても涙がでてくるくらい、楽 しく、せつない経験でした。最大の感謝をShigeyoさんに・・・。

コンサートの間中、私は、いつもKeyclubのみんなと一緒に、 Stingを聴いていたように思えてなりません。 私ひとりだけだったら、あんなに素晴らしい体験はできなかったでしょう。 確かに、ストックホルムでオスロで、私はみんなと一緒でした。 長々とレポートを書かせていただいいて、ありがとうございました。
私の拙文に、あたたかい感想を寄せていただいた皆さん、ありがとうございました。 柄にもなく、今、涙がとまりません。
8回に渡り掲示板に書き込みして下さったHiroさんのリポートを Hiroさん御自身に編集していただきました。
Hiroさん、本当に有難うございます。