1981年〜1985年  ■ コンサート回数:日本で2回

1stアルバム Outlandos D'Amour(アウトランドスダムール)

Next To You / So Lonely / Roxanne / Hole In My Life / Peanuts / Can't Stand Losing You / Truth Hits Everybody / Born In The 50's (俺たちの世界)/ Be My Girl-Sally (サリーは恋人) / Masoko Tanga

*ジャケットの THE POLICE の文字の色は 赤・黄・青・緑の4色あります。

2ndアルバム Reggatta De Blanc(白いレガッタ) 【1979.10.25日本発売】

Message In A Bottle (孤独のメッセージ) / Reggatta De Blanc (白いレガッタ) / It's Alright For You / Bring On The Night / Deathwish (死の誘惑)/ Walking On The Moon / On Any Other Day / The Bed's Too Big Without You (ひとりぼっちの夜) / Contact / Does Everyone Stare / No Time This Time

【1980年 初来日公演】2/14・15 東京中野サンプラザ、2/17 渋谷公会堂、 2/18 名古屋愛知県勤労会館、2/19 大阪フェスティバルホール

3rd アルバム Zenniyatta Mondatta(ゼニヤッタ・モンダッタ) 【1980.10.21日本発売】

Don't Stand So Close To Me (高校教師)/ Driven To Tears (世界は悲しすぎる)/ When The World Is Running Down, You Make The Best Of What's Still Around (君がなすべきこと)/ Canary In A Coalmine (カナリアの悲劇)/ Voices Inside My Head (果てなき妄想)/ Bombs Away / De Do Do Do, De Da Da Da / Behind My Camel / Man In A Suitcase (スーツケースの流れ者)/ Shadoes In The Rain / The Other Way Of Stopping (もう一つの終止符)

「お金をあげたもんだった」という意味ではありません。このアルバムからシングルカット された Don't Stand So Close To Me(邦題:高校教師)のプロモーションビデオを 見てファンになりました。このビデオさえ見なければ・・・。

■ 1981.2.2 @日本武道館 THE POLICE公演!
1980年に初来日していますが、残念な事にその頃はまだポリスの存在を知りませんでした。
ファンになったのは2度来の少し前、チケットも既に発売されていて、ぎりぎり今は無き「B席」を 手に入れました。この時高校生でしたが(年がバレる)、この日から私の追っかけ人生が始まりました。 でも、”ポリス”を見たのはこの時1回だけ。死ぬ前にもう一度見たいです。

公演の後「夜のヒットスタジオ」に出演し、DoDoDoを口パク演奏しました(笑)。 また、この時のライブは、後日NHKの「Young Music Show」で放送されました。今でもビデオを見るとあの時の 感動が蘇ります。

来日公演
1/20 宇都宮市文化会館、1/21 宮城県民会館、1/23 札幌厚生年金会館、 1/25 名古屋市公会堂、1/26・27 大阪フェスティバルホール、 1/29 京都会館第1ホール、1/30 倉敷市民会館、1/31 福岡九電記念体育館、 2/2 日本武道館

1981 日本のファンクラブ "レガッタ(Reggatta)" に入会
ミーティングやフィルムコンサート(死語)に積極的に参加。
レコード会社でのビデオ鑑賞、リクエスト大作戦、ピクニックまで行きましたよ。
*この日本のファンクラブはその後自然消滅しました。

4thアルバム Ghost In The Machine(ゴースト・イン・ザ・マシーン) 【1981.10.21 日本発売】

Spirits In The Material World / Every Little Thing She Does Is Magic (マジック)/ Invisible Sun / Hungry For You (j'aurais toujours faim de toi) / Demolition Man (破壊者)/ Too Much Information / Rehumanize Yourself / One World(Not Three) / Omegaman / Secret Journey / Darkness (暗黒の世界)
1983.4.17/18
幻のポリス日本公演。2月に来日発表があり整理券も出ましたが、すぐに”延期”となりました。 ウドーではその整理券は有効です、と言っていましたが、私はその言葉を信じて今だに持っています。

1983.6.11 アンディ・サマーズ来日
Synchronicityのプロモーションでアンディが来日。シンコーミュージックのスタジオでファンの集いを開きました。 2:30と4:00の2回ありましたが、授業をサボり、朝一番に行き整理券を確保。床に座って一番前で見ました。

5thアルバム Synchronicity(シンクロニシティ) 【1983.6.24 日本発売】

Synchronicity I / Walking In Your Footsteps / Oh My God / Mother / Miss Gradenko / Synchronicity II / Every Breath You Take (見つめていたい) / King Of Pain / Wrapped Around Your Finger / Tea In The Sahara (サハラ砂漠でお茶を)

ポリス5枚目の、そして最後のアルバム。シングルカットされた Every Breath You Take(邦題:見つめていたい) は、1983年のNO.1ヒット曲です。

1984.8.31 @千歳烏山・烏山区民センター
Synchronicityをベースにしたミュージカルを見に行きました。
どこかの英語サークルのイベントだったのでしょうか?(良く憶えていません)
タイトルの『シャドー・ゲーム』(シャロウ・グレイブではない)とは、“ユングの言うところの・・・云々” とパンフレットに書いてありますが、私には理解できません。演じたのは日本人と数人の外国人で、 Synchronicity から数曲がかかったという事しか憶えていません。なぜこの劇を見に行ったのか? (もちろん、音楽がポリスだったからなのですが)その前に どうやって情報を得たのか、謎です。

スティング 1stアルバム The Dream Of The Blue Turtes(ブルータートルの夢) 【1985.7.10 日本発売】

If You Love Somebody Set Them Free / Love Is The Seventh Wave / Russians / Childrens Crusade / Shadows In The Rain / We Work The Black Seam (黒い傷あと)/ Consider Me Gone / The Dream Of The Blue Turtles (ブルータートルの夢) / Moon Over Bourbon Street (バーボンストリートの月) / Fortress Around Your Heart

1985.8.7 フジテレビ
「夜のヒットスタジオ」に出演すると聞き、フジテレビ前(今のお台場ではなく、曙橋の頃)で入り待ち。 数時間待って御一行様が観光バスに乗って来た時は、ちぎれんばかりに手を振り、気が付いたら顔が涙で濡れていました。(笑)
この時演奏した曲は「Set Them Free」、番組の最後には、息子のジョー君も映っていました。

■ 1985.8.10 SUPER ROCK'85 スティング初のソロコンサート
記念すべき初のソロコンサートをあのような悪条件の中で行うとは無謀だったと思います。
場所はお台場。今のようなおしゃれな場所では決してなく、ただの広場。 しかも他のアーティストといったらアースシェイカーだのママズボーイズだのハードロック系。 その時メタルという言葉はあったのでしょうか?とにかく、場所取りに朝6時過ぎに行って、延々10時間位 並びました。並んでいる間は、雨が降ったり、その後カラっと晴れて暑くなったりで大変でした。 必死に場所を確保してからも他のバンドの演奏を我慢して聞きました。いえ、この頃には睡魔に 襲われて、大音響の中、体育座りで眠ってしまいました(笑)。
スティングが始まったのは夜の10時頃でした。 ポリスを見てから4年。4年間待った人がすぐ近くにいるというそれだけで感動して涙が 出ました。演奏が素晴らしいのはもちろんですが、夏の夜、七色の照明の中で歌っている 姿や、その後ろで雲が流れていく様子など全てに感動しました。 スティングは夜中の12時に終了。フォリナーが残っていましたが、さっさと引き上げました。

1985.8.11 成田空港
コンサートの後、ファンクラブの友人達と新宿で一夜を明かし、始発で家に帰り、着替えて成田空港へ。
当時の成田はとても警備が厳しかったのです。空港駅もまだ完成しておらず、近くの駅からバスに乗り換えていくという不便さで、バスに乗る前に セキュリティチェックがありました。私と友人Fさんは、 適当な便を時刻表でチェックして「叔母の出迎えです」とか何とか言って空港内に入り、スティングを探しました。
実はコンサートの翌朝帰る、という事しか聞いていなかったので見つかるかどうか不安でしたが、間一髪、出国カウンターに行く前にキャッチし、 レコードを抜いて持ち歩いていたアルバムジャケットにサインをもらう事が出来ました。 けれども、機嫌があまり良くなかったようで、一緒に写真は撮れませんでした。